高取城散策コースコースダイジェスト |
高取城散策コースは、山道を歩きます。途中、整備されていない場所などございますので、散策には注意が必要です。また、盛夏時は、まむし等が出没することも報告されています。散策は、盛夏を避けた時期をお勧めいたします。(盛夏時は、城跡コースのガイドを承っておりません。ご了承ください。)
散策コースは公有林・私有林の中を通っています。景観保護・山火事保護の為、ご協力をお願いします。コースには、売店・自動販売機等、ほとんどございませんので事前のご準備をお勧めします。夜間は、街灯などございません。日暮れの時刻などにご注意頂き余裕を持った時間配分をお勧めします。 |

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| 高取城の詳細解説はこちら |
| 各史跡への距離・所要時間表はこちら |
| 壺阪山駅 |
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大正12年、当時の吉野鉄道が吉野口−橿原神宮前間を開通させた際に開業。現在は近畿日本鉄道吉野線となっている。 |
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石畳の道
「土佐街道」
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武家屋敷 |
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城址への大手道に続いています。城下町として栄えました。
このエリアの詳細は、「土佐街並み散策コースダイジェスト」をご参照ください。 |
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上子島
砂防公園 |

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上子島における2つの渓流が合流するところで壺坂山駅と高取城跡の中間に位置する。ハイカーが利用しやすいよう休憩できる広場等を設け、砂防、防災的な機能を果たすとともに水と緑豊かな公園として整備された。阿波野青畝の句碑も公園内にある。
公園入口より左手上の方を見ると土壁の建物が見える。高取城から移築された「火薬庫」ではないかと言われている。(写真下)
これより山手は、水道のあるお手洗いがございません。登山前に、お立ち寄りください。飲料販売の最後の自動販売機です。 |
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| 大手筋へ |
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ここから山道になります。足元も悪くなりますので十分ご注意ください。 |
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| 黒門跡 |
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城へといたるメインストリート大手筋の入口にあたる。第一の城門があった場所。物頭1人と卒20人を配置して警戒にあたっていた。 |
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| 七曲り |
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曲がりくねった坂道で敵が攻めてくると坂道の樹や竹を切って攻撃を防いだと伝えられている。
実際に7回曲がっているかは、微妙。 |
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| 一升坂 |
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石材などの運搬に役夫は急坂と重荷の苦しさにへたってしまったので、米一升を加給して激励したという言い伝えからこの名が付いている。
いつの時代も、人は、げんきんなものです。 |
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| 自然の要害 |
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高取城のように、中世の頃に建設した山城は、自然の地形を要害としてうまく利用しています。途中、沢にかかった橋があったりします。有事の際は、この橋を落として、攻撃を防いだと言われています。 |
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| 岩屋不動 |
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岩屋神社跡で明治維新までは岩屋不動と呼ばれ、往古は大峰参上の一行場と伝わっている。
不動・文殊・役の子角の石像がある。
大手筋から道をそれた所にあります。足元が非常に狭いのでご注意ください。道は、岩屋不動で行き止まりです。引き返して大手筋へ戻ってください。 |
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| 猿石 |
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城下町へ下る大手筋と飛鳥方面へ下る岡口門への分岐点に置かれている。飛鳥時代、斎名朝(7世紀)の頃に作られたものと推定されている。
この猿石は、高取城を建築の際、石垣に転用するのに飛鳥から石材などとともに運ばれてきた物らしい。明日香檜隈の吉備姫王墓にある石像物と同類の物である。郭内と城内の境界を示す「結界石」とした説などがある。
現代的な言葉で言えば、明日香方面の古墳等の石を城用にかっぱらってきて、その中に猿石があり、ここにでも置いておこうか、ということだったのかもしれない・・・(笑) |
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| 二ノ門跡 |
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二ノ門の前は、もと木の掛け橋で、その左側には山城では珍しい水掘がある。 |
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| 国見櫓 |
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大和平野方面を見渡す絶景地。大和郡山・奈良方面から二上山を経て大阪方面、葛城・金剛山を経る紀路と来たと西とが見渡せる。監視の目的にも使われていたのではないだろうか。
写真は、霞かかった状態であるが、なんとも風情である。天候のいい日は、大阪のビル群や大阪城が見えることもあるらしい。夜景も美しいが、散策コースは街灯など何も無いので、それなりの準備と複数人行動をお勧めする。 |
| 国見櫓から大和平野を望む景色・夜景 |
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この辺りから、石垣も迫力を増してくる。本丸に近づいていく気配が漂いだす。
よく見ると、形の変わった石を石垣に見つけることが出来る。これが、明日香方面の古墳等から運ばれてきた石材を転用した物のようである。 |
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| 大手門跡 |
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大手門(正式名:御城門)である。
筆者が、高取城に始めて登った際に最初に大きな感銘を受けた門跡である。
まさに、城の門跡として迫力のあるものである。司馬遼太郎の気持ちが、分からなくもない光景である。 |
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| 二ノ丸跡 |
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本丸まで後一歩。 |
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| 本丸跡 |
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高取城本丸跡である。国の指定史跡である。二ノ丸から本丸へ向かう際に最初に現れるのが天守閣の袂になる。 |
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2003年に本丸付近が整備され本丸周りを1周することが出来るようになった。
南から日のあたった石垣は真っ白である。当時は城下町側からも石垣と城壁が見えたそうである。次のような詩が残っている。
「たつみ高取 雪かと見れば 雪じゃござらぬ土佐の城」
別名「芙蓉城」と呼ばれていた。春には桜、秋には紅葉と美しい景色である。 |
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本丸跡からは、南に吉野の山々が望める。
高取城建築の南北朝時代、建築にあたった越智氏が、吉野の豪族と畿内への接続拠点として重要視していたのが感じられる光景である。 |
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| 天守跡 |
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本丸跡の一番高台になる天守跡である。
高取山の標高は583.3m。黒門跡から高低差390m。これを比高と呼んでいるが、高取城は日本一の比高を誇っており文字通り日本一の山城と言えるであろう。 |